2013年12月20日

1. 日光・結構・NIKKO三昧(こんな日光第2弾!イケイケ編)

●日光に大学や専門学校があれば良い。

観光(食)・自然・工芸(漆・彫金)・情報の四科。土地は市が用意する。若者が住めばお店も出来る。身近に若者たちを見ていると目の保養にもなり元気が出る。なぜか若者は不思議な力を持っている。それに何てったって可愛いし。 誰の子でも良いから見ていたい。
1000人くらい人口が増えたらすごい!

●日光に「日光新書」があれば良い。

日光の観光・自然・歴史(足尾・湯西川・川治・鬼怒川)温泉・アウトドア、グルメetc…著者たる市民はたくさんいる。日光検定や日光ブランドの先に日光の何でもが記された日光新書が何十冊も生まれる。
そして図書館もまちへ出よう!

●日光に「地域再生可能エネルギー条例」があれば良い。

こんなに水が溢れているし、森もあり土地も広いし急峻。小水力もバイオマスも太陽光も組み合わせて。うまくいったら脱原発都市宣言や再生エネルギー都市宣言も出来ちゃいます。

●日光にFM日光があれば良い。

日光、鬼怒川の駅前にサテライトスタジオを作ってどんどんご案内しちゃいましょ、一度、来てくれたら離さない!観光だけじゃ無く災害の時も使えます。

●日光全域にゲストハウスが増えると良い。

バック一つ背負って来る外国人観光客のための安い宿。安い上にお・も・て・な・しがすごい。花火大会や盆踊りなど、各種イベント会場にくまなく連れて行ってくれる宿もあり、そんな宿はリピーターが絶えない。もっともっとサービス満点のWELCOM!しましょ! 市は空き家情報を提供する。

●日光が桃源郷になると良い。

木を植えよう!花を植えよう!市民による記念植樹・基金を創設して、四季折々の花が見られるように。私は日光街道が好きです。春は、紫色のダイコンの花、黄色の山吹から始まり、桜、桜吹雪、葉ざくら、そしてツツジへと移る。昼夜、新緑のトンネルに癒やされ、秋には桜の紅葉がはらはらと、冬には稟としたその枝の美しさを見せる。宇都宮と日光の往復はいつの季節もたまりません。
そして、圧巻は、春の新里街道のゴルフ場付近の梅、桃、桜、菜の花、ここぞまさに桃源郷!
日光自動車道の新緑や桜、真夏のサルスベリも魅せてくれます。
自然は黙って人を癒やしてくれる。30年、50年後に桃源郷のように美しい日光を残せたら良い。
そして50年後には日光市全体を世界自然遺産に!なーんて、妄想しています。

IMG_2251とは言ってもどれもこれも行政だけでは出来ないことばかり、市民の力を集めたら、すごいことになりそうな予感。未来はそんなに悪くないよ♪AKB48の「恋するフォーチュンクッキー」をみんなで踊って、ネットに載せて日光をPRしようと12月議会に提案した若い議員がいる。私もこれは大好きでYouTubeをお気に入りに入れて、疲れたときに見たり歌ったりしている。でも、それを500人規模で市内各地の観光地をバックに踊ろうなどとは、考えてもみなかった。やはり、若いもんの発想は面白い。スイーツランで日光のマラソンを多様化しよう!と提案した若い議員もいた。何がどこでヒットするか分からない。やはりここは古いもんより若いもんの言うことを聴いた方が、市は発展するようだ。
私はと言えば、NKO48のセンター取れるよう、これからは振り付けも覚えようと、ニヤニヤしている。

2.そろそろかな?

p_hiraki_7866私のあ・し・あ・と
20歳から働き始め、保育園や学童保育をフルに利用して、子育てと仕事を続けてきた。
前半は製造業の総務・経理に携わり、決してきれい事では無い吸収合併劇の悲喜交々を目の当たりにした。
後半は県内の月刊誌「財界とちぎ」の記者、ビジネスステーション21の、企画・編集・営業に携わり、中小企業の経営者の取材にあたった。
企業経営の並々ならぬ努力や責任の重さを学んだ。企業は社員を養うことは元より、顧客の満足を常に追い求め数字として明らかにした。納税を通じ社会に貢献していることを誇りとする社長も何人もいた。若手経営者の射るようなハングリー精神と、県内屈指の企業を動かす重鎮経営者の懐の深さ、いずれも熱く眠れぬ時代だった。
38歳、長女の出産を機に企業は辞めた。それまで関わっていた障がいを持つ人たちへのボランティアから福祉の道へ入った。そこには効率を求める企業とは異なる仲間たちの温かさがあった。一方、障がい者の在宅生活を支える福祉サービスが立ち遅れていたため、社会人や介護福祉専門学校の学生たちと組織を作り、重度障がい者の自立生活を支えた。

IMG_2322おかげで後に宅老所や認知症高齢者のグループホームを始めた時、多くのボランタリーな若者に支えられた。
また、当時の今市には勁草のように強い女性たちがおった。宇都宮から転入したばかりの私を排さずに受け容れてくれた先輩たちに今でも感謝している。おかげで、NPO・市民活動もダイナミックに展開でき、実に面白かった。市民活動から議員として市政に携わることは私にとって自然な流れだった。若い頃から社会の動きには興味があった。
市場性の荒波に揉まれドキドキ過ごした企業での18年、パワフルな仲間たちと繰り広げた市民活動での10年、そして制度によって大きく全体を変えることが出来る政治活動での10年、いずれも人と人が濃く関われる泣いたり笑ったり怒ったり憂いたりの日々だった。
宇都宮から今市に転居して来春でちょうど20年になる。そろそろかな?と腰を上げる還暦の師走。ぽっとこころが暖かい。

3.老幹新枝(ろうかんしんし)

先日、霧降のペンションにお邪魔したときのこと、
「今日は一日中お猿さんが大変だったの、ボスの座を追われた二匹の猿が屋根の樋のクリを食べに来てね、」と。なぜボスが二匹いたのか、元ボスと前ボスなのか、それともボス夫婦なのか聴きたかったが、忙しそうだったので尋ねそびれた。それに、閉ざされた猿山ならまだしも、自然の中でなぜ、その二匹が群れを離れたボス猿と分かるのかも興味があった。若い猿が老いた猿に挑み、老いた猿も若い猿の挑戦を受けて闘う。チャンピオンとチャレンジャー、まぶたの切れたボクサーたちの姿も浮かぶ。いつの世もそうやって若いもんは年寄りを乗り越えて進んで行くのだろう。

IMG_2333半年ほど前、高校時代の友人に「還暦だし若い人にそろそろ議席を譲ろうかな」と何気なく漏らしたことがある。電話の向こうで友人が怒鳴った。「なに言ってんだよ、若いもんに譲る?若いもんは自分から年寄りを倒してやる!って向かって来るようじゃ無いとダメだろ。自分だけ楽しようなんて思うなよ、昔のお前はどうした!」思わず言葉に詰まった。昔の私・・・か。そう言えば、昔の私は確かに生意気だった。友人は還暦を過ぎてもまだまだ生意気盛りのようだが。
生意気万歳!やんちゃ上等!今、ちょっとだけ昔返りしかけたのは、やはり、暦を一巡した者の「回帰」なのかもしれない。

5.お願い

いつも平木ちさこの政治活動を応援いただきまして誠にありがとうございます。引き続き、旧に倍するご支援のほど、よろしくお願い申し上げます。